システム開発ヒストリー
「アンサーの歴史・クオリティを語る…それは開発部門の歴史でもあります。」
会社としての黎明期を支え、そして今日まで受け継がれている開発技術の歴史を振り返ります。
タッチパネル
アンサーの歴史を語る上で忘れてはいけないもの―“タッチパネル”です。
現在でも稼動しているシステムとして、大阪市のスポーツ施設予約ができる『みおつくしスポーツネット』があります。このシステムは代理店さまからお仕事を依頼され、1996年にリリースしました。
現在もハードウェアは変更されましたが、システムはそのまま活用いただいています。10年以上、ノントラブルで運用されています。
驚くべきアクセシビリティ
今では常識となっているアクセシビリティですが、当時より大阪市から考慮するよう依頼されていました。開発当初はSF風のデザインで作成していた画面でしたが、完成時には、ボタン背景が薄いピンク、薄いイエローに統一されました。視覚障がい者の方に一番見えやすい配色、という理由からです。
インタフェース
現在ではさほど斬新ではありませんが、エリア検索などで施設を選択する場合、大阪市内の各区を選択できるようにしていました。一般的には、あいうえお順で区名を表示(施設窓口用はこの仕様)しますが、弊社では実際の大阪市内の地図に近いボタン配置にし、より直感的に施設のある区を選択できるようにしたのです。
キャラクターデザイン
システムで利用されている画面デザイン、キャラクターデザインなども弊社が担当しました。開発時、仮想的に作成したものがそのまま本番でも採用され、リリースとなったのです。
当時配布されたパンフレットにも、このキャラクターをご利用いただきました。
ネットワーク
企業さまの研究所で利用されるPCネットワークを構築しました。
1990年に1200台のPCをLAN Managerベースで構築したものですが、当時はまだネットワーク技術を持つ技術者が少なく、試行錯誤を繰り返しリリースした思い出があります。
また、研究所ですのでJUNET(学術研究用ネットワーク:現在のインターネット前身)が利用できるようにしなければならなかったため、眠れぬ夜が数晩続いたことも思い出のひとつです。
スタティックルーティングは大変です
今では考えられませんが、当時はスタティックルーティングしか存在していませんでした。シスコシステムズ製のルータを使っていましたが、変更があるたびに毎回手作業でテーブルをメンテナンスしていたのです。
Sunとの出合い
1986年に同企業さまの別研究所にて出合っていたSun。本格的にシステムとして利用したのがこの時の案件です。OSはSunOS4.1.3だったと記憶しています。セミナーに参加した際、日本語のテキストがなく苦労しました。
しかし、この案件でインターネット技術のほとんどを習得することができ、そのことにより、現在のアンサーがあるのだ、といっても過言ではないでしょう。
NISはイエローページ!?
NISとは、Sunが開発したコンピュータ間のユーザー情報を共有するサービス。最初はイエローページ(YellowPage)と呼ばれていたのですが、すでに英国企業によって商標登録がなされていたため、NISと名称が変更されたのです。
インターネット
1996年から97年にかけて、日本中でダイヤルアップ接続によるインターネット・ブームが起こります。弊社ではその前年にタッチパネル端末+インターネット・システムを構築し、このシステムは日経産業新聞に記事掲載されました。
具体的にはNECさまのご紹介で京都大学工学部さまを訪問、『マルチメディアを活用した情報提供サービス』をテーマにシステム構築ができないか、とご相談を受けました。
開発当初は、GopherやWAISを利用して情報を提供する計画でした。開発言語にはNEC製の専用言語を用い、開発は順調に進みました。
ところが、同じ研究室の学生さんが見ていたページがとても面白い! 今ではもう日常ですが、WebブラウザでHTMLを表示していたのです。
お話を伺うとすでにアメリカではかなり使われているとのこと。早速、日本語は使えるか、画像は表示されるのかなどを確認、リンクも簡単に設定できることがわかりました。そこで担当教授に提案、急遽Webベースで情報提供をすることにしたのです。
無事納期通りリリースすることもでき、学内情報をタッチパネルで簡単に提供することができるようになりました。
インフォメーションボード
キヤノン製のハードウェアでPCからは通常のプリンタとして使えるものです。
職員の方が学生さん向けに発信する情報を印刷すると、教室に設置されたインフォメーションボードに情報が出てくる仕組みです。
掲示板まで見に行かなくても教室内でいろいろな情報が閲覧できるというものです。
画像作成ツールはSUPER KiD
当時の格安画像加工ツールといえばSUPER KiDでした。1万円程度で販売されていて、インターネット・ブームの時にはかなり出回っていたと記憶しています。イラストなどを描くときにとても便利でした。
Oracleの多言語対応
2000年に、日本語のWebサイトを構築していた企業さまから海外の方向けに情報発信するWebサイトを作りたい、とご要望いただきました。
当時、複数の言語に対応するためには個別にOracleを立ち上げるのが常識(※セミナー等でOracle技術者さんに問い合わせてみました)でした。お客さまのご希望は日本語、英語、中国語(繁体字・簡体字の2種)、韓国語の5カ国語Webサイトを作るというもので、日本語と英語は大きな問題なく実現できますが、残りの3つをどうするか、半年の開発スケジュールの中で試行錯誤し、約2カ月の動作検証の結果、1つのOracleで5カ国語対応を実現できました。
テストが大変
Microsoft Global IMEを使い、5カ国語のWebサイトがきちんと動作するかを検証する際、読めない言語に苦労しました。英語ならそれほど問題はありませんが中国語、韓国語は読めないので入力もできません。
そのため、最低限必要な文字列を適当に入力して決め、その入力方法通りに入力して、検索などが正しく行えることを検証しました。